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はじめに

このブログは横浜国立大学・後期木曜3限ワークショップ「コラム・エッセイ・ブログを書く」の投稿用ページです。最新記事は下になります。

追記にチャンピオンの方向けのメーリングリスト配信方法や、現時点(10月23日現在)での流れを記しておきます。

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あとがき

 はいっ! ということで長らく13回にわたってお送りしてまいりました09年度後期木曜3限ワークショップ「コラム・エッセイ・ブログを書く」、いかがだったでしょうか?
 この「コラム・エッセイ・ブログを書く」は、大学の講義としては珍しい、生徒自身が考え創っていく形をとった講義でした。最初の何週間かは「どんな授業にするか」っていう話し合いだけでつぶれたりして(笑)それでも最後は、なんとかひとつまとまったものになったのかと思います。

 このサイトをはじめて訪れる方もいらっしゃるかと思いますので、まずは簡単にこの講義の形式について説明しようと思います。
 このワークショップ「コラム・エッセイ・ブログを書く」は、毎週あるテーマについて1000字程度の文章を書き、誰が一番いい文章だったか決めよう! というものです。土曜日の投票でトップに選ばれた学生は、日曜日までにテーマを決める。受講生はそのテーマについて木曜日の講義までに文章を書き、5人ほどのグループに分かれて議論しあう。そしてまた土曜日までに誰が書いた文章が一番良かったか投票……という流れです。
 文章の形式は自由! 文字数も(実際は)自由! 最終的には平均2000字、多い人は3500字くらい? になっていたような……(←!)文体についても、最初は哲学を絡めた自己主張のようなものが多かったですが、講義の終盤になるにつれて各々が書きたいように書くスタイルに変わっていきました。その件は後ほど↓の方で。

まずは手始めに今回の講義で扱ったテーマをみてみましょう。

  ・※ただしイケメンに限る
  ・読書
  ・日本語
  ・遺伝子
  ・少年
  ・中二病
  ・犯罪
  ・キャラ
  ・好きな人
  ・死
  ・みつ編み
  ・中毒
  ・しがみつかない生き方


 このテーマの羅列だけ見てみても、この講義のカオスっぷりが伺い知れますね(笑)ちなみに、前半と後半をあからさまに二分している「中二病」というテーマは、この授業の講師である清田先生が強制的に指定したものです。さすがの影響力ですね!

 テーマと同様、授業で提出されるレポートにしても、いろいろなものがありました。内に籠った自分語りのような文章からポエティックな女の子らしいもの、文章の形式に縛られない散文まで様々。
 いくつかの文章を読んでいただければ、自分の文章によりたくさんの票を入れてもらおうと試行錯誤する学生の姿が垣間見えることでしょう。

 しかし、中には順位を付けることに意味があるのか? と考える学生もおり、清田先生不在の中で話し合いをする週もありました。そもそも文章を他人と読み比べることを疑問に思った学生も一人二人ではないかもしれません。
 それだけ人の文章を読み、自分の文章を書くという行為は反即物的なものです。
 この講義をとっていない方からすれば、このブログ自体が誰か一人の人間が創った戯れ跡だととることさえできるかもしれない。
 実際過去には、この講義をよく思わなかった何者かによってこの講義のブログが消させられてしまうという悲しい事件もありました。
 でも、ひとつだけ確かなことがあります。

 それは「いま現在『コラム・エッセイ・ブログを書く』というサイトが存在し、あなたがこの記事を読んでいる」ということです。

 あなたにとって、大学の講義から生み出された半年の奇跡は、後の人生を左右する重大なものであるかもしれないし、ただ読み飛ばすだけの暇つぶしのための文章として終わってしまうかもしれない。
 しかし、少なくとも「現在」あなたに読まれているこのサイトは存在し、このサイトを読んでいるあなたもまた存在している。それは疑いようのない事実です。
 ぜひ、だまされたと思っていくつかの文章を読んでみてください。その文章が気に入らなければ即行ページを閉じてURLの履歴まで削除しちゃってください。
 ですが、もし気に入っていただけたときには、コメントや拍手でそのことをお教えていただければ、文章の作者は小躍りして喜びます。きっと。

 このサイトに限ったことではありませんが、しがみつく生き方をするのも自由! しがみつかない生き方をするのも自由です!
 というわけで、最終週である今週のテーマは「しがみつかない生き方」、どうぞご覧ください。

吐き気、脱力感、それから…/show

みなさんたぶんご存知だと思うが夢の国ディズニーランドにスペースマウンテンという乗り物がある。俺はあの乗り物がすごく苦手だ。真っ暗で何も見えない。次にどっちにコースターが曲がるのかがわからないから心の準備ができずに振り回される。それが楽しいんだよって言うやつもいるけど、理解できない。スペースマウンテンに乗り終わった後はひどい乗り物酔いになる。乗っている間ずっと体中に力を入れて、手は必死にバーを握り締めているから終わると力が入らなくなる。両手を上げて力を抜いてキャーキャー叫んだほうが楽だって聞いたことがある。試しにやってみたこともある。だけど結局最後には体中に力を入れてバーにしがみつき息を殺して歯を食いしばっている。周りが見えないのに両手を上げたりしたら何かの間違いでどっかに手が当たってそのまま腕が吹っ飛ばされてしまうような気がして怖い。吐き気と脱力感の中で、二度と乗るものかと強く心に誓う。

そして2,3年後くらいにまたディズニーランドにやってくる。そのころには一緒に来る女の子も変わっている。そして思う。あれからずいぶんと月日は流れた。バイクに乗ったりしているから乗り物酔いを克服したかもしれない。あの時はただ体調が悪かっただけかもしれない。今の俺はあのころからかなり成長しているはず、と。そして宇宙旅行に飛び立つ。暗闇。左右に揺さぶられる脳みそ。予期せず左右から俺の体に襲いかかるG。吹っ飛ばされるかもしれない恐怖。吐き気、脱力感。結局俺は少しも成長なんかしていない。苦手なものは苦手なままなのだ。

生きていくのってかなりしんどい。一寸先は闇だ。自分にはコントロールできないことが次から次へと襲いかかってくる。何が起こるか分からない。だから楽しいって言って豪快に笑うやつもいる。でも俺はそうはなれない。しがみつかない生き方ができる人ってすごく強い人だ。自分の存在の正当性、確実性を仕事や恋愛やお金に求めない。はじめから自分という存在に確信を持っていないとそんな達観した考え方はできない。俺はたぶん弱いから必死でしがみつく。働くことに夢を抱くし、恋愛に妄想して、幻想を抱く。お金だって余るほど欲しい。ある種の強迫観念だ。自分が無能だとわかったり、恋愛をできなかったりすると俺という存在が揺さぶられる。吐き気、脱力感。俺は何のために生きる。俺には価値がないのか。俺は。俺は。

このワークショップもスペースマウンテンのようだった。前も後ろも右も左もわからない。「いい文章」なんてよくわからない。それでも毎週何かを書かなくちゃいけない。どうして俺はこんな文章しか書けないのだろうと打ちのめされ続けた。必死でしがみついた。何にしがみつけばいいのかはわからなかったから「自分」というものにしがみついていた。力いっぱいにしがみついて書いた結果、結局本心は隠して自分が傷つかないような文章に終始していたような気もする。毎週かなりしんどかった。

だけど、まったく予想していなかった事態なのだけれど文章を書くのが少し好きになった気がする。今後個人的にブログとかやってみるのも悪くないなって思っている。

みなさんお疲れ様でした。みなさんの文章を読んで僕は毎回力をもらったり打ちのめされたり、刺激的な時間を過ごすことができました。ありがとう。じゃあまた。 竹内翔一




どっちもどっちが甚だしい/へい

                

香山リカにしろ、勝間和代にしろ、そんなに詳しいわけではないけどさ。ていうか本当は、どっちも読んだ事ないんだけどさ。

「香山・勝間論争」というのが話題になり。それは、香山リカが本心から勝間和代に反証したかったのか、それとも出版社の人から「香山さん、こういうのもアリですよ」みたいなことを唆されたのか。まあまあ、出版経緯は置いておくとして。
そういう論争ってどう考えても後攻有利でしょ。相手の出方を研究したり、著書なんかは当然読んでいるわけだからさ。
にも関わらず、論争はグダってしまった。

単純に『しがみつかない生き方』は『勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド』を打ち負かし、ぶっちぎるだけの強度がなかったのか?
おそらく違うだろう。

たぶん、どっちも極論だから。たぶんだけど。
香山リカは要するに、ゆる系ってことよね?
「がんばらなくたっていいよー。かっこつけたってしょうがないよー。だってわたしにはむりだものー。人生なんて、ほどほどでいいのよー。」
勝間和代は、ガチムチ系ですか?
「なんとなく生きてるんじゃないですか?迷ってるんじゃないですか?生き生きしたい。簡単ですよ。過去のことを思っちゃだめだよ。なんであんなことしたんだろうって。怒りに変わってくるから。未来のことも思っちゃだめ。大丈夫かな、あはーん」

…違うか。

だって、支持層が分かれるから。
香山リカを、怠け者の理論だ。向上心がない。失敗したときの慰めだ。みんながみんな、努力しなかったらこの国どうなんの?ってパンチする人もいるかもしれん。
勝間和代を、そういう強要に苦しめられる人もいる。誰でも頑張れるとは限らない。独立なんかしてなくたって幸せなら良くね?って下段蹴りを見舞う人もいるかもしれん。

いや、どっちも読んだ事ないんだけどね。
支持層が間逆なんだから、議論にならないのは当然でしょうがい。
カツマーをカヤマー(違うか)に取り込めないのはわかってるじゃんか。だから当然、論点は違ってくるし、議論は噛み合わないでしょうがい。

僕たちを茶番に付き合わせないでくれーい。わーい
しがみつかないも、インディペンデントも一緒じゃーい。わーい

しがみついて生きる/こけ

この前、『板尾創路の脱獄王』を見た。ストーリーは至って単純で、板尾創路扮する鈴木という囚人がひたすら脱獄を繰り返し、全国の刑務所にたらい回しにされているだけだが、退屈はしない。鈴木が全国の看守たちにぼこぼこにされながらも、試行錯誤して脱獄していくのを見るのも面白いし、推理もの風になっているのも面白い。
 が、見終わって渋谷駅に向かって歩いている途中に、あれが頭の中を襲ってきた。
私は何のために生きているんだろう――。
またこの問いだ。うんざりするほど繰り返されて、ぼろ雑巾のようになっている。どうやら脱獄、はたまたその先にある大きな目的のためにのみ生きる囚人鈴木のせいで、私の問答スイッチがオンになってしまったらしい。

生きる目的がある人に憧れる。いや、目的があることよりも、目的があるからこそ生まれるその盲目的な生き方に憧れる。自己犠牲も周囲の迷惑も何でもかんでも「○○のため」の一言で片づけられる人に。そして、その目的に沿っているか沿っていないかで全てジャッジが出来ることに。グレーゾーンのないことに。うらやましい。私は、どうせまともな将来の夢というものをもったことがないし、受験も就職活動も適度にしかしていないので、誰かを蹴落としても、何が何でもという目的遂行のための盲目さを持ったことがない。企業説明会の予約のためのワンクリックに全力を注いでいる人に驚嘆し、説明会で手を挙げて堂々スラスラと自己紹介をして質問をする人に感心する。彼らは本気だ。ああ、私は彼らに比べたらお遊びだ。でも、もう一年大学に居続けるような勇気もないので、一緒に就職活動させて下さいね。

そうだ、宗教を持ったらよいかもしれない。宗教によって、生きる目的を与えてもらおう。どこまでも他力本願で済みません。カルトだって、裏に何かが絡んでいたって、生きている目的を与えてもらい、信者がそこに信仰し依存しているから成り立っている。金づるかもしれないし、カルト宗教の信者というレッテルが貼られてしまうかもしれなけれど、そんなの気にならないから関係ない。
いや、別に宗教じゃなくてもいいじゃない。ブラック企業に勤めて、社長と数字をこよなく進行し、そのために己の身をささげれば済む話ではないだろうか。働いて働いていけば、いずれはこのひねくれた思考回路だって停止してくれる日がくるだろう。

と、こんなこと言っても、結局、私は何にもしがみつけずに毎日が過ぎて行く。
ブラック企業の人事部のみなさん、私を拾ってくれませんか?
 

生きる/411

この文章は、センチメンタルなんて犬に喰わせろ、と普段は言っている男の手によって書かれた。もし、あなたが犬を飼っているなら、この文章は犬に喰わせてほしい。

 人間はこの世に生み落とされるわけであるが、何故、そのまま落下を続け、地面に叩きつけられて死なないかというと、お母さんのおっぱいしがみつくところから始まって、キリンの人形、チョコレートパフェ、学校、スポーツ、音楽、ニーチェ、仕事、宗教、堕落、常識など数多、何だって良い、何かにしがみついて落下を免れているからである。
 だから、僕はもうすぐ死ぬのだろう。
全てが間違っているように思えてきて、僕はしがみつくものを失ってしまった。開いた書物はもう何も訴えてこないし、書きたかったことがあったはずなのに、それらはもう何処かに行ってしまった。街ですれ違う人たちの生き方を僕は嘲笑う。もう何も正しくはない。でも、あれは違う、あいつは駄目だ、と言う僕に、若さ故の高慢とか、口に出すのも恥ずかしいような言葉を当てはめることはできない。僕は謙虚であると思う。何故なら、自分が一番間違っていると思っているから。シニカルってわけでもない、シニカルな態度をとろうとしても、今の僕にはユーモアが足りないのだ。

 宙ぶらりんの僕の位置からは、不思議と周りがよく見え、そして何かにしがみついている人間の姿がよく見えるのだが、誰も彼もが必死で、顔を真っ赤にさせていて、滑稽にさえ感じられ、その時、僕は人間の弱さに気がついた。あぁ、人間は弱いんだ、僕は知っている。重力ってものがあるから、手を離せば、落ちる。そして、落ちた場所に何もないことを人間はよく知っているのだ。果敢に手を離したとしても、そこには何事もあるまい。しがみついているものは笑えても、この弱さだけは僕には笑うことができない。素直に、羨ましいと思う。素直に、あの場所に戻りたいと思う。あの場所にどうしても戻り、必死な顔をして何かにしがみつきたいと思う、そう思うのだが、今の僕には、新しくしがみつくものが選べない。それほどに僕は弱いのである。
 
今の僕には新しくしがみつくものが選べない。それほどに僕は弱いのである。と書いて、結局僕は、自分自身にしがみついているのだなぁと笑う。
 
デウス・エクス・マキナが降りてきて、僕にこう予言する。
 「お前はまだまだ死なない。」
 それを聞いて、僕は少し笑い、予言された未来を呪ったりはしないのだ。

『「しがみつかない生き方」について、ある女子大生に聞いてみました。』/おかか

アナウンサー「ちょっといいかな、『しがみつかない生き方』って本があるんだけど、この『しがみつかない生き方』って考え方について、何でもいいから意見を聞かせてくれないかな」

女子大生「え?私?私 女だけど、「しがみつかない生き方」なんて綺麗事だと思う。だってこの世なんてしがみついて、しがみつかれてナンボだと思うわけ。ほら、私どっちかって言ったら勝間和代派っていうか、いわゆるカツマーみたいな?香山リカって人の「しがみつかない生き方」は読んだことないんだけども、商品説明を読んでみたのね。『「ふつうの幸せ」を手に入れるには、「私が私が」という自慢競争をやめること。お金、恋愛、子どもにしがみつかないこと。』ってあるけど、うーん、やっぱり綺麗事じゃない?…だってさ!お金はやっぱり無いより有るにこしたことはないし。時々あるじゃん?友達に1000円貸してって言われたりとか。で、貸すじゃん。それでさ、なかなか返してくれなかったとき!指摘するのは気まずいし、いや、そこは気付けよっていう(笑)。そういうの気にしない方が幸せになれるんだろうけどさー、やっぱ難しいじゃん。恋愛なんかしがみつかなきゃ何も発展しないんじゃない?そもそもしがみついたとかしがみつかれた結果付き合うんじゃない??そりゃ行き過ぎはアウトだろうけど(ストーカーとかそーゆー感じの)、好きだから付き合いたいとか一緒にいたいとか思うから告ったりするわけで。そんな小学生じゃないんだからさー公認カップルとかもうこの年にもなればないっていう話なわけじゃないですか。ってことはやっぱどっちかがしがみつかないと話にもならないわけで。子どもにしがみつかないって子ども産むな的な?そんなことしたら少子高齢化社会が急速に進行して日本ますますやばくない?

大体さ、こんな本読んでる時点で「本にしがみついてる」って思うんだけどどうよ?そんな簡単にしがみつかないで生きていけるなら苦労してないって!だって、気になるじゃん。他人の目。お金。恋愛。見た目。何でもそうだよ。私には大好きなものも、大嫌いなものもある。だからそれらにはしがみつきたいと思っちゃう。大好きなものに囲まれて暮らしたいし、大好きな人と一緒にいたいと思う。大嫌いなものは嫌いだからこそ気になって避けようとしちゃうから結局しがみついてるのと同じ意味かなって。そう考えるとしがみつかないってことは無関心になることと一緒だと思うんだよ。全てがどうでもいい世界なんて、私は楽しくない。しがみつくからこそ、笑うし怒るし泣くんだよ。全てに無関心になれたら楽だと思う。生きる上ではね。でもそんなこと簡単に出来ないよ。朝あと10分早起きすればヨユーで大学に間に合うとか、エッセイもテーマ決まったその日に書けば遅刻とかしないで済むのもわかってる。わかってるけど出来ないんだって!気づけばありとあらゆることにしがみついてる私がいるんだよ。人にだけじゃない、時間とか単位とかそういうものにも。それで毎日ヒィヒィ言って無性にイライラしたりもするの。でもその分しがみついたものが手に入ったりしたとき、達成出来たときの喜びは異常。だから生きてる。しがみついて私は生きてる。人間だもの。こんな感じでいい?じゃ、おしまいっ!」

あの人はみにくい/ぐぬ(-"-;)

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

あの人に自分のこんな醜いところを見られてしまった!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

こんな予定ではなかった…!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

あの人は内心私を馬鹿にしただろうか…!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

周りの人がみんな私を見て笑ってる…!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

私をいないものだと思ってくれ!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

私は何にも持っていない!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

何にもないんだ!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

そんな風に見るなよ!!

恥恥恥恥恥恥恥恥恥恥…!!

あああああああああああ

何だって言うんだよおーーーーーーー!!

しがみつかない生き方/ビヨンセ

昔ゲストハウスに住んでたことがあった
東京のゲストハウスは旅の宿というよりは、シェアハウスって感じ
1日1500円で光熱費も込みだし
PCも最低限の家具も共同だけど付いてる
月額で考えたら安いから、そこにはフリーターもいればOLだっていたし立教大生もいた
みんなが普通に社会生活を送ってた
俺の部屋は離れにあった3部屋のうちの真ん中
両隣の部屋はゲイと中国人の男の子だった
廊下を突き当たったところには共同のシャワー室があった
夏だったから汗引くまで上着たくないじゃん、部屋までちょっとだったから
そんな時は決まってゲイと廊下で会った。ドアの修理なんかをしてた
それでもお互いのことを詮索する様なことはしなかったけど
中国人の彼は語学留学で日本に来た。だけど学校には通ってなかった
赤坂かどっかのレストランでアルバイトをしてた
たまに彼に日本語を教えたりもした
晩御飯はいつも袋にいっぱい詰まったバターロールと缶詰
缶詰の汁にパンを浸して食べてたよ
1番安くてお腹いっぱいになるんだって言ってた
俺が自炊してなかったから、田舎から送ってもらったお米をあげたら凄く喜んでた
ある日家に帰ると、いつもより部屋の前が騒がしくて
中国人の彼が備え付けのTVを持って夜逃げしたんだってゲイが教えてくれた
2ヵ月くらい家賃を滞納してるって話は聞いてたけど
部屋にもどると、ドアの隙間から押し込まれた1枚の便箋を見つけたよ
 
兄さんへ
日本語を教えてくれてありがとう
お米をくれてありがとう
いつもシャワー先いいよって言ってくれてありがとう
これからも健康で頑張ってください
迷惑かけてごめんなさい 

揺れた

最後の言葉だけが呑み込めなくて息が詰まった
迷惑なんてかけてないよ
俺なんかに謝る必要なんてないよ


「しがみつかない生き方」
このテーマを見た時、なぜだろうかふと彼の横顔が浮かんだ
彼の生き方がしがみつかない生き方だからかな
爪が剥がれたって彼は必死で「何か」にしがみついてるような気がするよ

そんな過去の記憶に時々しがみつく

過去の記憶にしがみついて生きる
それだけじゃつらすぎる
でも時々ならいいかな
頑張れよって言ってくれてる気がするよ

あと少し頑張ろ

結婚とかクルマとかマンションとか娘の写メとか

それとは違う「何か」に

もう少しだけしがみついて生きていたいんだ



毎週テーマに沿って文章を書くということ、そしてblogを書くということが初めての経験だったから、かなり苦しいWednesday nightsを過ごして来たけれど、こんな文章でも時には票を入れてもらえたり1等賞にも成れたのだから新たな発見です。ワークショップはこれで終わってしまうけど、これからもblogを続けてみようかなあなんて思う自分がいたりもするのだから不思議なものです。と思ってるのは今だけかもしれないけど・・。時には予想だにしない人からblog見てるよなんて声を掛けられることもあったけど、友達に見られようが、家族に見られようが平気だったから、そんな文章を書いている自分・・そこに打ち破るべき壁のようなものがあったのかもしれないな・・。でもそんな立ち位置が自分っぽいとも思うのだけど・・。今日で最後の人もいると思うけど、その人達とは今日でお別れです。

毎週拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。

ばいばい

カヤマー教の恐怖/2038円

読後感が「恐怖」あるいは「不安」だったのは私だけだろうか?

ベストセラーになるだけのことはあって、これはすごくいい本だ。全体を通して「しがみつかない生き方」が説かれていて、うまいこと肩の力を抜いて生きていけるような考え方が分かりやすい例を使って簡潔に書かれている。確かに「最近悩みを抱えているの……」って人の悩みは話を聞いてみるとたいてい「考えすぎだよ……」って言いたくなるようなものだったりする(もちろんもっと深刻な悩みを持った人もいっぱいいるんだけどさ)。問題はなぜ日本にはそんなことで心の底から本気で悩まなければならない人が多くいるのかということで、何が人々をそうさせるのかってことだけど、この本はその問いに1つの解を与えてくれる。しかも書かれていることも一般的な道徳や倫理にかなっていて(ほら、成功本みたいなのってよく人間として間違ってることも平気で書いてあっちゃったりするだろ?)ちょっと古臭くもあるのだがそこが逆に読んでいてなんとなく心地よい。確かにしがみつかずに生きていけたら人間幸せなんだろうな、と素朴に思う。

けどなにかひっかからないだろうか?なんとなく奥歯に物が挟まったままというか、電車の乗り換えをまだちゃんと確かめてないというか、今日家出るときちゃんと鍵閉めたっけ?というか、そういうタイプの漠然とした不安がないだろうか?なにか本質的な問題が置き去りになっている気がしないだろうか?われわれが本当に解決してほしいと願ってやまないのは、つまるところ他者との関係をいかにうまく、ごく自然に、ストレスなくこなしていくかという問題である。しかしこの本はそういった問題には目をつぶれというばかりで解決策を示してくれるわけではない。「解決ではなく解消」という言葉が頭をよぎる。

もちろん他者との関係のうまい解決法なんて永劫見つからないに決まっている。だから目をつぶって生きるのは正しいし、この本に書いてある内容を実践して「普通の幸せ」を手に入れられるならそれでいいのさ。

私が問題にしたいのはじゃあなんでそんな本がはやっていて、なんで日本に生きる人はそういった言葉を求めなくちゃならないかってことだ。それはやっぱり後ろ盾がほしいからだろう。大きな物語だとか、第三者の審級だとか、オウムにはまっちゃうエリートたちのように、そういうものを求めているからだ。

ここで私が読後に感じた「恐怖」や「不安」の正体が明らかになる。それはそういったカルト的なものにいつの間にか絡めとられて、気づかぬうちに香山リカ信者になってしまっていないだろうかという恐怖だ。

香山リカが優れているのは、おそらく人々のそういう心理や自分の文章が持っているそういった効果にかなり自覚的で、「実際に社会や他者が信頼、信用できない(p.25)」といったことや自己啓発セミナー、カルト宗教のことなどにも計画的に言及していることだ。世の中にはそういう悪い人がいっぱいいるけど私はそういったものとは違いますよ、とアピールしているわけだ。なるほどこれはいい手だな。ちょっくら売れる本でも書いて、カルト教団のグルにでもなって信者から金を巻き上げて海外逃亡でもしてくるわ。バイバイ。